My only friend through teenage nights
Queenの曲のなかでは「Radio Ga Ga」がいちばん好きで
まさにタイトルのような10代を過ごしたワタクシ。
さまざまなコンテンツが楽しめる昨今、時代を創ったテレビすら凋落してしまった。
懐古厨でなくたって今のテレビ、本当につまらないもの。
だから、最近はもっぱらニュースかドキュメンタリーばかり見ている。
それすらとんでもない偏り方をしている番組(出演ゲスト含む)もあってうんざり。
部屋が無音だと悪夢を見る厄介なタチで、ずっとTVをつけたまま寝ていたが、今度は
明るさが煩わしくなって、アイマスク代わりにラジオを聴くようになった。
今や便利になったもので、radikoやポッドキャストといったプラットフォームがあるから
ラジオがなくても、夜中まで起きてなくても、どこの地域の番組でも好きなときに聴ける。
でも、ラジオを聴く醍醐味は各局にダイヤルをあわせ、時報と同時にパーソナリティと空間を共にするところにあるのではないか?
1981.1.1 ビートたけしのANNスタート
ワタクシのラジオっ娘としてのスタートは、小学6年生。
例年1月2日か3日は、叔父(父の弟)の家へお年始に行く。祖父母親戚に馴染まなかった
ワタクシとしてはさほど楽しい集いではなかったが、父方唯一の男性いとこがビートたけしのオールナイトニッポンを録音したからと聞かせてくれた。
「元旦や餅で押し出す二年グソ。ビートたけしのオールナイトニッポ~ン!」のあと
おなじみのビタースイート・サンバ。
クラシック音楽や映画だけでなく、落語や漫才も好んだ父の影響は多々あるが、漫才ブームで時代の寵児となったツービートは父とテレビを見るうち、好きになったように思う。
その頃父は胃がんで自宅療養をしており、3月に再入院してお彼岸に亡くなっている。
これまで明るかった我が家の空気が父の療養で若干重たくなっていたこともあり
お年始という華やかな場で聞いたビートたけし氏のマシンガントークは、子ども心にもよい感じで風穴を開けてくれた。

それから毎週木曜深夜は、父からもらった小さなトランジスタラジオでANNを聴くようになり
父亡きあとは、ほぼ毎日。時には二部まで聴くヘビーリスナーになっていたから、睡眠時間3時間程度の日もあった。
- 1983年4月(火)YMO幸宏さん
1984年1月~サザン桑田さん - 1985年4月(金)~サンプラザ中野
1985年10月(火)~とんねるず - 1987年4月(月)~デーモン閣下
ANNはリアルで聴きつつ、カセットで録音した。
しかも父が志ん生やら六代目三遊亭圓生やらの古典落語を録音したテープに上書きとか、有効利用なのかバチあたりなのか。
今でも何本かテープは残っていて、この間ふと聞き返したら、1986年4月8日に亡くなった岡田有希子さんを悼む回だった。
今でもメディアで騒がれた現場、四谷のサンミュージック前を通ることがあるが、この放送を想い出す。
1987.5.27 サンプラザ中野のANNでブルハLive当選
女子美生となって上京し、初めて行ったLiveはTHE BLUE HEARTS。
サンプラザ中野氏のANNでブルハのデビュー記念ライブを憧れともいえる銀河スタジオで開催と聞き、応募したものの音沙汰なく。
まさか、当日のお昼に当選ハガキ到着とか。
あとにも先にも、速達のハガキを受け取ったのは人生でこれっきり。
- ブルーハーツのテーマ
- ハンマー
- 未来は僕等の手の中
- パンクロック
- レストラン
- ロクデナシ
- キスしてほしい
- チェインギャング
- 人にやさしく
- 終わらない歌
- リンダリン
- TOO MUCH PAIN
ライブは、まぁ~すばらしかった。
別に生まれ変わりたくはないけれど
初めて生で聴いたブルハで
「男に生まれたら、もっと楽しめたかも」
と思わせる、よい青臭さといいますか。
ブルハを聴いたビートたけし氏が
「あぁ俺もしかすると、コレやりたかったんじゃないかな」って。
漫才師じゃなくて、こういう感じでこういう歌歌いたかったんじゃないかなぁ…
と思ったっていうか気付いた。ちょっと嫉妬したね。
と仰るのも納得の時間で、深夜1時からの放送は父の落語テープの使いまわしではなく
きちんと新しいやつを買って録音し、今でも手元にある。
もうほぼ40年前の想い出ですよ。
身体は老いても魂ってやつぁ、いつ成長すんですかね?
AMラジオはノイズも想い出

AMラジオを取り巻く環境はめきめき進化し、音質がFMかと思うくらいクリア!
これが、ワタクシとしては淋しくもあり。
地元ではANNは放送していたけど、コサキンとかヤングタウンはなかった。
だからコサキンなら954kHz、ヤングタウンなら1179kHzとか、ピーピーガリガリいうなか、ダイヤルを調整しなければならない。
チューニングによっては、モスクワ放送や北京放送なんかが入ってきて、共産圏というフィルターもかかって、落ち着いた女性アナウンサーのトーンがひたすら怖い。
そして再び、Radio GaGa。映画ボヘミアンラプソディーのラストにもある「LIVE AID」
1985年7月13日8:00pm(ロンドン時刻12:00pm)フジテレビで15時間の生放送。
もちろん私も視聴していたが、Queenを見た記憶がない…
So don’t become some background noise
(ただの雑音に成り下がるな)
A backdrop for the girls and boys
(ガキどもに聞き流されて終わらないで)
Who just don’t know or just don’t care
(価値も分からず、関心すらないくせに)
And just complain when you’re not there
(消えて初めて「音がない」と文句を言うやつらのために)
You had your time, you had the power
(お前には黄金期があった、世界を動かす力があったんだ)
これ、ラジオに限らず、すべてのコンテンツに言えるなと。
なんでもユーザーに勝手に消費され尽くして“古くさい”“オワコン”なんてレッテル貼られちゃうワケですよ。
ジャンル問わず、作り手に乗っかってる評論家などハナから居なくていいけど
すぐコンテンツを食いつぶしたうえで捨てていく。
ノイズを一切取っ払ったって、魅力あるものに化けるとは限らない。
ワタクシ含めたユーザーにも、好き嫌いの前に責任あるよなぁ。

